美林の姫君

武居千恵子

 その昔、赤澤の奥深くに、静かに育まれていた木曽檜たちは、いつの頃からか、しっかりと根を張り林立する大樹の美しさを、赤澤美林として広く世に認められるようになりました。
 美林の山裾近くを流れる小川のほとりで、ひっそりと、咲きながら甘い香りを漂わせているおおやまれんげがありました。
 梅雨も終りの頃、おそ咲きのおおやまれんげの最後の一輪が小川に散り落ちました。なんと!!それには花の精が宿っていたのです。
 流れに乗って下り、姫渕にさしかかった時、花の精は渕の底に眠る姫を見つけました。そして精霊の力で姫を掬い上げ、深い眠りを覚まさせたのです。すると姫は入水した時の悲しい気持は消えて、やさしい姿になっていました。人間の眼には見えるはずはありませんが、おおやまれんげの花は花びらをひろげ姫を乗せて木曽川へと下って行きました。当時の木曽川は水量も多く滔滔と流れていました。神秘の力は、何も動ずることなく悠悠と流れに乗って下って行きました。たまたま寝覚の床へ近づいた時、「万宝神書」で飛ぶ術を学んで寝覚の床へ来ていた浦島太郎が、無数にある奇岩の美しさにみとれていて見るともなく流れを見ていた時、秘術を持つ太郎にはおおやまれんげの花に乗って流れて来た美しい姫が、はっきりと見えたのです。
 
 やさしく手をさしのべて岸へ抱きあげてくれました。
 悲しい運命を背負っていた姫でしたが、赤澤の美林の中のおおやまれんげの神秘の力で生まれ替ることができ、上品な香りと美しい笑顔を合わせ持った、可愛らしいお姫様となったのです。
 浦島太郎と美林ちゃんとの出会いは何とも奇妙なめぐりあいでした。山を愛し花を愛でる上松町民のそのやさしさが、太郎の足を上松にとどめさせたのかもしれません。